2007年度 経済統計学会 研究奨励賞

受賞者:水野谷武志(北海学園大学)

選考結果報告

選考対象論文
水野谷武志著『雇用労働者の労働時間と生活時間』(2005年10月)

本論文は、雇用労働者の労働時間と生活時間について、独自の推計方法に基づきその推計値を提示するとともに国際比較を試みたものである。

1.論文の特徴

〔労働時間について〕
(1)雇用形態別の労働時間分析
平均化作用によりともすればその特徴が埋没して捉えられることの多い男女の労働時間について、筆者は、雇用形態分析によりその特徴の検出を試みている。 「就業構造基本調査」(総務省統計局)を用いた分析から筆者は、正規職・従業員における男女長時間労働者の存在、女子「パート・アルバイト」における短時 間労働者、さらには週35時間超の男女労働者の増加等を確認している。

(2)年間実労働時間に関する独自の推計方法の提示
厚生労働省やILOが作成、公表してきた日本の年間実労働時間は、企業あるいは事業所での賃金台帳に記載された計数を原情報とする「毎月勤労統計調査」に 依拠している。企業・事業所を対象としたこの統計が不払い残業時間を除外した単に有償労働時間のみを把握したものである点に筆者は着目し、新たに世帯を対 象に実施される「労働力調査」に基づき不払い残業時間を含めた週実労働時間を独自に推計している。さらに筆者は、休日日数や有給休暇の取得状況等の要因を 加味した「年間実労働週」概念を新たに導入することで、年間実労働時間の推計も行っている。なお、自らの推計方法の定式化に当たって筆者は、先行業績の意 義と問題点を適切に評価しつつその方法論の構築を行っている。

(3)不払い残業時間の国際比較
筆者は、独自に推計した年間実労働時間と「毎月勤労統計調査」による公表年間実労働時間とから不払い残業時間を推計し、さらにそれが、国際的に見ていかな るレベルにあるかについても考察している。これについては、同様の方法による推計値が利用可能な国、あるいは既存の統計表の中に集計表としてそれが収録さ れているアメリカやドイツなどとの国際比較を行っている。その結果、男女とも不払い労働時間の量において日本が最長である事実を明らかにしている。

 

〔生活時間について〕
(1)ミクロデータによる雇用労働者夫妻の生活時間の国際比較
筆者は、労働力人口の最大のセグメントである雇用労働者に焦点をあて、日本に特徴的な長時間労働の生活時間の配分への影響、その家庭内での男女の生活時間 面に現れた役割分担の特徴の定量的把握を行っている。分析では、指定統計調査票の目的外使用制度による「社会生活基本調査」(総務省統計局)のミクロデー タ(匿名標本データ)の提供を受け、雇用労働者夫妻の生活時間について既存の結果表からは得られない独自集計を試みている。さらにその集計結果について筆 者は、カナダとドイツの生活時間統計のミクロデータの時間分類を日本のそれに調整の上比較することで、フルタイム雇用の共稼ぎ世帯についての労働・生活時 間の国際比較も行っている。これらによる分析の結果、日本の雇用労働者が労働と通勤に費やしている時間は比較国中で最長であることが、また時間帯別行動者 率データに基づく分析からは、遅くまで職場に拘束されている夫の姿が浮き彫りにされる。また家事労働の夫婦間分担では、日本での夫の参加度が最も低いとい う事実が確認される。

(2)独自企画調査に基づく分析
家政経済学グループが実施した「世田谷区生活時間調査」の調査研究のメンバーの一員として筆者は、「社会生活基本調査」あるいはNHKの「生活時間調査」 にはない独自な調査事項を持つ調査票に基づき、1週間を通しての労働・生活時間の実態把握に取り組んでいる。とりわけこの調査では、労働時間を所定内労働 時間、所定外労働(支払い残業)時間、更には不払い労働時間に三区分することで、時間帯別の行動者率も含め、曜日別の特徴が各区分別に把握されている。

〔研究成果についての小括〕
筆者は本論文全体を貫く課題として、雇用労働者についての労働時間と生活時間の国際比較並びに国内分析の新たな方法論を提示することを掲げている。そこで は、既存の集計結果あるは関連データの適切な組み合わせによる年間実労働時間の推計とそれに基づく国際比較、あるいはミクロデータを用いた国際比較結果を 具体的に示すことを通じて、不十分な定義・分類調整について表注を列記した従来型の国際比較の方法とは明らかに一線を画する比較方法が提起されている。統 計資料の吟味、批判に基づく比較方法論の提示という意味では、本論文に示されている研究成果は、本学会が一貫してこれまで追及してきた方法のさらなる延長 線上に位置するものであると同時に、本学会の従来の到達点からの新たな展開の要素を内包している。新たな比較方法論の提起というやや禁欲的にも見える設定 課題については、統計論として本論文がそれに対する一つの解答となっているように思われる。

 

2.残された課題
筆者自身、今後の取り組むべき課題として、本論文で定式化された推計方法、雇用形態別分析、ジェンダー視点といった方法論に基づき、労働時間、生活時間に 関して、比較年次データの更新、比較対象国の範囲の拡大、さらには現実の雇用形態の多様化の進展を受けて分析対象集団の範囲を正規雇用者から各種非正規雇 用者さらには自営業従事世帯へといったいわば外延的拡張の必要性を指摘している。
他方で本論文は、労働時間については、不払い労働時間も含めた「時間」のより正確な数量的把握に、また生活時間についても各行動時間そのもの並びに時間帯 の把握に主たる関心が払われており、国際比較も主としてこのような側面からのものとなっている。本論文の学術面での貢献については、本会内外ですでに多く の評者による適切な評価がなされている。その一方で、本論文については、それが独自の分析視角として掲げる「労働時間と生活時間の総合的分析」の「総合 的」の内容に関する疑問も投げかけられている。
本論文では、共稼ぎ世帯については、いわゆるジェンダー視点から男女の生活に係る役割分担について、時間面からの接近が試みられている。この点に関して は、「時間数」という数量による表現結果がそれぞれどのような実態を反映したものであるか、一体どのような構造的特徴がそのような結果をもたらしているの かといった現実社会のいわば内実に係る構造の解明もまた筆者が掲げる上記の諸課題とは一種次元を異にする課題として存在しているようにも思われる。今後、 筆者自身も認識している現実の多様性、多面性と正面から対峙しつつ着実に課題に取り組む過程で、あるいは新たな分析方法が必要とされ、またこれまでの分析 視点そのものの相対化を要請される場合があるかもしれない。本論文が提示したゆるぎない地盤の上に、今後これらの課題に対する解答を一つ一つ積み重ねるこ とで、一部の評者による「総合的分析」に関する疑問は自ずと氷解するものと確信する。

3.選考結果
本論文は、総ページ数350ページを超える大著であり、しかも各ページは筆者による気の遠くなるような文献渉猟とその批判的評価、さらには粘り強い前処理 によって初めて可能となる大量データの処理に基づきまとめられたものである。その意味で選考委員会委員は、いずれも実に緻密な研究から構成された本論文そ れ自体を高く評価するという点では共通の認識を持った。それと同時に、選考委員は、若手研究者の中心会員の一人として本会の次代を担う筆者に対して、本会 がその中心テーマとしてきた統計利用方法論について、本論文が提起した方法論を直ちに一つの完成形としてその外延的展開だけでなく、多面的分析を踏まえた 新たな次世代型利用論を構築されることを期待している。そこで、選考委員会では筆者の将来の研究面での一層の展開を期待しつつ、本論文に対して2007年 度研究奨励賞を授与することにした。

(学会賞選考委員会)

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