2015年度 経済統計学会賞

受賞者:泉 弘志(大阪経済大学)

選考結果報告

選考対象論文
泉 弘志著『投下労働量計算と基本経済指標』(大月書店,2014年)

  本著作は,泉弘志会員が前著『剰余価値率の実証研究-労働価値計算による日本・アメリカ・韓国経済の分析』(法律文化社,1992年)の出版以降に探求 してきた生産性と利潤率,分配に関する諸論文をまとめた労作で,第Ⅰ部:投下労働量計算とは何か,第Ⅱ部:投下労働計算と経済成長率計測・国際経済規模比 較,第Ⅲ部:投下労働量計算と生産性計測,第Ⅳ部:投下労働計算と剰余価値率・利潤率の4部から構成される。既に前著に続き多くの書評が呈され,本学会内 外で注目を集めている著作である。

1. 本著作の意義

(1) 本著作のもつ分析視角の意義
本著作を通じて,古典派経済学とりわけマルクス経済学でよく用いられる投下労働量分析の有用性を強調するものとなっている。投下労働量分析が有用であるのは,本著作によれば以下の理由による。
まず,本著作では,資本制社会を対象に分析を行っている。資本制社会とは私的・分散的に企業が生産決定を行う社会であり,個々の企業は技術選択の際に,費 用削減率の高いものを選んでいく。その際,技術選択の良し悪しを測る尺度が必要となる。先行研究の多くは,この技術選択を評価する尺度について,費用削減 率に着目し,例えば全要素生産性や付加価値生産性を用いる。しかし,本著作で強調されるのは,費用削減率とは異なる尺度,ある商品を生産するために直接・ 間接に必要な労働量(投下労働量)である。
投下労働量計算を行うことで,費用削減率に着目する先行研究では得られない以下の成果を得ている。第一に,固定価格表示の国民総生産の推移とは異なり,一 貨幣単位商品の投下労働量で加重した国民総生産の推移は緩やかであった点である(第Ⅱ部)。同一商品に対する労働量と市場価格の乖離が原因であるが,この 乖離は技術進歩のタイプの評価方法が如何にあるべきかという重要な論点に結びつく。すなわち第二に,そもそも全要素生産性の上昇率と投下労働量の削減率は 共に技術進歩の進展を示すものであるが,実際には,真逆の結果になるケースがあることを統計資料によっていち早く指摘している点である(第Ⅲ部)。
以上から本著作で用いている投下労働量計算は,「費用削減」という個別企業の私的観点と「労働」という社会的な観点の両者を合わせ持つ研究を可能にし,資本制社会の特徴を明らかにする分析視角を得ることになった。

(2) マルクス経済学における統計手法を他学派に対話可能な形でまとめた意義
投下労働量計算は,現段階では経済学者の間で多数が用いる手法とは必ずしもいえない。そこで著者は,複数の学会での研究活動を通して,新古典派的手法を用 いる多くの研究者と議論を交わし,比較可能な形で対話する試みを行っている(第Ⅲ部)。それは,第7章の「全要素生産性と全労働生産性」に最も特徴的であ る。結果として,先に挙げた技術選択の尺度に関する新しい知見の他,主流派経済学の手法では困難であった異なる通貨を持つ国同士での産出量や生産性測定の 問題に関して,投下労働量を加重値として比較する方法を提案(第Ⅱ部)するなど,豊富な知見をもたらしている。

(3)日本経済固有の特徴を明らかにした意義
本著作ではマクロ経済 全体の投下労働量で測った生活資料の量(必要労働)を分母とし,そしてその残余の剰余労働を分子とした剰余価値率の推移について検討している。オイル ショック以降の日本の経済構造は,一般に低蓄積の状態に移行したといわれているが,本著作では,二つの異なる側面,すなわち価格でみた均等利潤率が 1980年から2000年にかけて低下する一方で,剰余価値率が増大していること,を明らかにしている。一般に,剰余価値率が上昇すれば均等利潤率は上昇 するはずだが,このような特異な動きをした理由を本著作独自の分析では,利潤率の測定に適用される価値で量った資本ストックと純生産物との比が上昇すると いう意味での技術進歩に求めている。利潤率傾向的低下法則の議論と関連するこの結果は,同種の方法によった他国の実証結果とは異なる固有のものであり,本 書の大きな研究成果である。

 

2. 残された課題
残された課題は次の2点である。まず,現在グローバル化が進展し,分業の網の目は一国内にとどまらず世界中に広がっている。生産活動はますます社会的な ものとなっているわけだが,本著作で用いられている統計資料は一国内の産業連関データであり,一国内の分業の状態を捉えているにすぎない。つまり,本著作 で得られた測定結果は,例えば一国内の観点からの労働量の節約をみたものなのである。この点を著者は十分に理解しているようだが,今後は,複数の国の産業 連関表を連結した国際産業連関表による分析が待たれる。さらには,投下労働量計算で実証した結果,例えば1980年代以降の剰余価値率の上昇を要因分解 し,分析を深めていく方向も考えられる。

 

3. 選考結果
多くの先行研究では,企業の技術選択について費用削減の観点からのみ生産性指標を用いているのに対して,本著作では,政府によって作成される統計資料を 用いて,様々な視角から分析を行い,主流派経済学の手法では抉り出せない資本制社会の特徴を明らかにしている。極めて意義深い成果であり,経済統計学会の 趣意にも沿う貴重な業績と評価できる。以上のような理由から,学会賞選考委員会は本著作の貢献により泉弘志会員に2015年度経済統計学会賞を授与するこ とにした。

2015年 6月30日
学会賞選考委員会

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